ソンタグの感性・写真論(まとめ)

 『反解釈』では芸術作品をあるがままに受け取ることをせず、形式と内容とに二分し、「内容こそ本質的、形式はつけたしであるとみなす」傾向を批判している。内容(意味)への眼差しは作品を「思想」ないし「文化」という既存の解釈コードへと回収しようとするものであり、「芸術作品を飼い馴らす」。しかし形式とは「感覚の印刷であり、直接的な感覚の印象と記憶(それが一個人のものであれ、一文化のものであれ)との間の交渉の媒体」なのであるから、「形式にもっと注目すること」が必要である。生産過剰にある現代においては、その過剰な生産物がかえってわれわれの感性を鈍磨・画一化している。それゆえ「芸術作品とは、何よりもまず、われわれの意識と感性を変革するもの」なのだから、その力を借りて「われわれの感覚と取り戻すこと」、つまり「感性を特に鍛えること」で「もっと多くを感じるようにならなければならない」とされる。
 翻って芸術作品において、このような内容およびその解釈に絡め取られないジャンルないし作品はあるのか。ソンタグは映画がそれである、と言う。「すぐれた映画は必ずわれわれを、解釈の欲求から完全に解放してくれるところの直接性をもっている」。映画には「内容以外に、手がかりになるものがつねにそこにある」。それは「たとえばカメラワークとか、編集[モンタージュ]とか、画面の取り方など」、いわば「外形の語彙」とでも言うべき手がかりである。
 『反解釈』においてこのように述べられている「芸術作品」を写真に置き換えてみれば、DHが「イメージをその形式的な個別性において認識」(「黒い塊」の重要視)して、それをトリミングしてしまうことを批判している点にも通じているだろう。意味=理性に依らない感性と認識の前景化、という点ではDHが参照したアーレントによるカント解釈とも類比的にみえる。しかしソンタグは写真を論ずる場合、ある種の葛藤を抱えながら「映像のエコロジー」を主張するようになる。
 DHが『イメージ、それでもなお』pp.108-109.において述べているような、商品化やクリシェ化と結びついてしまう写真(あるいはイメージ)の両義性、つまり解釈が芸術作品を飼い馴らしてしまうのと同じように、イメージが現実を飼い馴らしてしまうという現状認識がソンタグ自身の写真体験との葛藤を生んでいたのである。彼女の『写真論』はこの写真の両義性をめぐって揺れている。『反解釈』と同様、カメラおよび写真を知覚の「教化、育成」と捉えてはいるが、「写真による世界の認識の限界は、それが良心を刺戟しながらも、結局は倫理的あるいは政治的認識にはなりえない」と言う。というのも「写真には現実的なものへ即座に接近できるという含みがある。しかしこうして即座に接近する結果はまた距離を生み出すことになる」から、つまり「私たちに参加を許しながら一方で疎外を確証している」から、この距離=訴外が「つねにある種の感傷主義」となってしまうからである。ベンヤミンがキャプションに見出した重要性も、ソンタグにあっては警戒の的である 。
 こうして、イメージが現実を凌駕するほどまでになった現状(「美的消費者中心主義」)を見、ソンタグは「自然保護論者の救済策を適用する理由があるのである。現実の世界が映像の世界を包含するもっとよい方法がありうるのなら、それは現実の事物についてだけでなく、映像についての生態学(エコロジー)をも要求するであろう」 と結論せざるをえなくなってしまった。
 『他者の苦痛へのまなざし』は『写真論』の続編であり、美的消費者中心主義の認識や、写真は知の入口への「契機以上のものではない」といった大筋の見解は変わらないものの、ある修正が見られる。この修正は彼女の政治的コミットメントの経験(セルビアによるクロアチアおよびボスニアへの侵略をきっかけに、彼女は自らボスニア支援のためサラエヴォに逗留し、抵抗活動を行った)に裏打ちされている。そして「われわれは『写真論』のなかで私が求めた「映像のエコロジー」を目指すべきだろうか。映像のエコロジーが生まれる気配はない」という自己批判を皮切りに、自ら『写真論』の主張を「保守的な批判だ」と捉え直し、議論の修正を試みている。
 まず、映像の氾濫といった「現実の権威を弱めようとする動きとは無関係な現実が、依然として存在している」ことが――自らの政治的活動の経験をもとに――主張される。次に「私の主張はむしろ現実の擁護、現実にたいして充分に反応する感度、現在危機に瀕しているその感度の擁護なのである」ということが確認される。つまり彼女は『反解釈』での主張を反復しているのである。映像が現実にすり替わることはない、そのような認識は安全な所にいる傍観者、特権者の穿った精神にすぎないという主張 は、ある種の現場主義を思わせるが、「しかし近距離で、映像の介入なしに苦しみを眺めることも、眺めるという点では同じである」という主張も加味すれば、安易な現場主義とも一線を画しているのがわかる。
 ではなにが問題なのか。彼女は「一歩退いて考えることは何ら間違っていない」としたうえで、「そのような写真を畏敬をもって眺め、それを十分に受け止める環境が保障されていないこと」、「深刻な内省のための空間」が確保されづらい現状が一つの問題かもしれない、とされる。だが写真は契機以上ではないゆえ、最終的に「われわれは知らない。われわれはその体験がどのようなものであったか、本当には想像することができない 、現場に身を置いた人々――ソンタグ自身の経験が当然ベースとなっている――は「あなたたちには理解できない。あなたたちには想像できない」と確信しているし、見る側のわれわれは「そのとおりだと、言わねばならない」と結論される。

 ソンタグが直面したのは、参加し行動する者としての立場と観察し分析する者としての立場の裂け目であったということができるだろう。彼女はこの裂け目から写真を考察していたのである。感覚の他者性の不可知性や、「映像が提示するものについてわれわれが何もなし得ないという挫折感」(「だが翌年、戦争はやってきた」)の中で、それでもなお「映像への期待」がなされているということは――感性=現実感覚を擁護し鍛え、感性的ショックを契機とすることで――「苦痛を生む世界のメカニズム」を知ることへと誘うためだったのだろうか。しかし、「苦痛を生む世界のメカニズム」という表現はソンタグ自身の言ではない。むしろこれでは単なる知識とどのように違うのか結局のところわからなくなってしまう。ソンタグは単なる知識として片づけたくなかったからこそ、彼女の理路は揺れていたのではなかったか。だとすれば、その震える筆先が刻むエクリチュールは何を求め喘いでいたのか。「いかにしてかを知ろうとする者」の困難とそこに賭けられているものはどのようなものだったのだろうか。