2012-05-01から1ヶ月間の記事一覧

近代と宗教(1)

人間は言語を習得することによって初めて理性を目覚めさせ、世界を開く(言語論的転回)。言語教育、つまり他者による教育=伝達を受けることによって、初めて生きうる存在となるのが人間である。この意味で、人間の生は、その人物が生まれる前からすでに始…

弔い

「剥き出しの生」と呟いてみる。すかさず「剥き出しの死」というものが、舌を襲う。忘れるなよ、と。そうなのだ、剥き出しの生を語るのならば、剥き出しの死が亡霊の如く漂う。死に淫するわけにはいかない、しかし、どのようにして。限定的に、きわめて限定…

生命哲学memo1

自己が自己に触れるという経験 →キアスム的反転(キアスム的可逆性)としての「肉」 →「蝶番(折り目)」としての肉の概念 ←しかしこのキアスムを可能にする超越論的平面の必要性 →存在論的に先行する総体的一的場面 →自己と他者を一気にとらえる自己ならざ…

セザンヌの空白、への垂れ流し

国立新美術館でのセザンヌ展を観た。単刀直入に。個人的にはセザンヌは好きでも嫌いでもない。よくわからない。感じる、というより考えることに忙しい。セザンヌの技法。そのビットを思わせるようなシンプルなタッチで織り成される調和的色価、つまり明度と…