「お勉強」課題1

「メタ−フィクション」という「フィクション」を書きつける視点があるという点で、考古学も精神分析も方法論は違えど似てしまうとしたら。

そのような「メタ」=「フィクション」を脱構築するデリダにとって、仮説的なものであれメタを確保しているフーコーは「理性」を振るう「メタ」の側だと言う。一方「メタ」を仮説的なものとして、爆弾を仕掛けつつズレ続ける運動をするという点で、理性は理性でも「理性」ではないのだ、と言うフーコー。と乱暴に図式化することが許されるのなら、精神分析はどこに位置づけられるだろうか。