東京都美術館「生きるための家」展

先月末、東京都美術館に「生きるための家」展http://www.tobikan.jp/museum/2012/artsandlife2012.html を観にいった。

次世代を担う建築家(の卵)による「すまう」ことの提案を公募し、そのなかから若手建築家(西沢、藤本、平田、小嶋の各氏)による表彰を行った作品展。最優秀賞に選ばれた作品は原寸大模型も制作され、インパクトある展示がなされていた。


(左下隅に私が映ってますね…苦笑)

良くも悪くも「次世代」を見た、そんな印象を強く受け、それゆえ思考を刺激される展覧会であった。まずなによりも、藤本壮介氏の影響力、そのカリスマ性が「次世代」のトレンドとなっているのがわかった。「次世代」の欲求ともいえようか。確かに、審査員の傾向が選出作品の傾向に影響した、と考えることもできるのだが、それにしても。

提出された作品のほとんどは藤本氏のアプローチを各自受容し、思考・制作の主たる軸となっているのが明らかであった。「開くこと」がそれである。近代が仕切りによって完全に空間を閉じ、「プライバシー」を確保する空間であったとするならば、「次世代」が提案する「すまい」の空間とは、自然・環境を「受け入れること」に主たる関心があるようだ。空間を閉じないことで、明確な空間に人が入るのではなく、「居場所」を場の粗密からハンティングしていくこと、そこに人間の空間的野生への再構築と「すまう」事に対する視点の転回点を見出そうとしている。

「3.11」以後、われわれは「「家」なくなった」状態にいる。このような文脈も踏まえて提出された作品が多く、直接的に言及して作品のコンセプトとしているものも多く見られた今回の展覧会。被災地出身の私としては、違和感を覚えざるを得なかったというのが正直なところだ。なぜか。

「開くこと」。このコンセプトが「ポスト3.11」においてこれほど容易に叫ばれる段階ですでに違和感を覚える。原発の被害は「守ってくれる家」「閉じていて欲しい家」を明確に意識付けたのではなかったか。「受け入れる」ために「開く」、「つながる」ために「開く」。この考え方をフクシマに行ってこの人たちは胸を張っていえるのか?確かにこのようなカタストロフは数百年、数千年に一度という例外的な出来事かもしれない。今回のカタストロフで原発は確実になくなる、それゆえこのような被害とそれから「守る」ことはこのような楽観的な見通しのもとで無視された、のか?未来の「すまい」の提案においてこのようなことを考慮するのは場違いなことであって、もっと想像力を羽ばたかせるべき、なのか?

仮にそうだとしよう。しかしその想像力が羽ばたく範囲は藤本氏の想像力の範囲内だとしたら、その機械的反復でしかないとしたら、藤本氏への鏡像的同一化でしかないとしたら。君たちは、いったい何に向かって開こうとしているのか。開くその先に何を見ようとしているのか。その建築が着地する、その文脈に対し「開く」とはどういうことなのか。その文脈とは何なのか。

「自分のすまいは心の中にある」。観念的存在としての建築が、このような抽象においてしか語られなくなったとき、サイバースペースに墓地を、といった流れと同様の、観念的「すまい」が一人歩きすることになるのではなかろうか。情報的建築、観念的建築。しかしそれは建築なのか。それはむしろ一度たりとも存在することのなかった「(近代)建築」なのではなかったか。


「開く」「つながる」ための「媒介」を求めること。これは建築において単に物理的・空間的連続性の確保ではない。それは媒介としての物質性、マテリアルな次元にあるのではなかろうか。物質的思考としての建築こそ、今、なにより求められているように思われてならない。

そんな印象を終始抱き続けた今回の展覧会において、最後に出会った「出発の家」と題された作品が、印象深かった。この作品だけが、唯一「拒絶」を前面に押し出していた。周囲の作品が「開く」ことや「有機性」「生命性」といったように、デジタルな自然的構造やアナログな(ヌメヌメしたようなガウディ的な)自然的構造を志向していたのに対し、この作品だけがマットな質感の、幾何学形態を打ち出していた。ピラミッドを逆さまにしたようなその作品は、作品紹介のボードに同作品の写真を森林の中にモンタージュした画像を掲載していた。そこにモンタージュされた作品はしかし、模型に実現されていたマットな質感はなく、むしろ全面が鏡面となり周囲の自然を纏う、そんなさまを表現していた。この、写真と模型の差異、あるいは齟齬。これは意図的だろうか。そうだと思いたい。そしてそうだからこそこの作品はきわめて重要だと私は思うのだ。

われわれは近代建築を雑誌に掲載された写真によって、主たるイメージを構築し、その存在を認識してきた。その存在を実在として認めてきた。しかしそんな「近代建築」なるものは一度たりとも存在したことなどなかったのだ。すべてばモンタージュ写真の莫大なる複製とその効果によって産出されてきたイデオロギーにほかならない。だれも住んだことのない「近代建築」とその理念。その虚像を実像と倒錯し、批判を繰り出すその手は空を切るばかりである。その「手」が今回の「次世代」建築家の「コンセプト」に現れてはいなかったか。不発に終わる運命にあるその批判と反動で形成された作品は、実現されることはないだろう。「出発の家」と題されたこの作品は、暗に周囲に鋭利な切っ先を向け続けていたように思われる。自身の齟齬をもってして。