2012 大地の芸術祭 越後妻有

今年で第五回を迎える「大地の芸術祭」。私は今回が初の参加となったわけだが、ボルタンスキー三昧であった。

初日、ジェームズ・タレルの「光の館」にて直島からの期待を裏切ることのない世界観を楽しんだ後、十日町にある「キナーレ」という施設にて一つ目のボルタンスキー「No Man's Land」を目にした。同様の作品は諸国で披露されている。しかし今回のように屋外での公開は初なのだそうだ。気難しいことで知られるボルタンスキーも今回の展示には大変満足とのことらしい。今後このような屋外での公開があるのかわからないが、初の試みを今回見ることができたのはありがたかった。

この展示が為されている「キナーレ」は、建築家原広司が手がけた。ファサードは無表情だ。コンクリートの沈黙が短形の構造を覆っている。建物の中にに入ると、西洋建築に見られる階段状の台座が短形の構造に合わせて凹みを形作り、列柱が四辺に展開していた。通常はそこに水が張られているのだが、今回はボルタンスキーのこの作品のために水は抜かれ、替わりに古着が敷き詰められていた。原氏のこの作品はブルネレスキのサン・ロレンツォ教会を髣髴とさせる。


ブルネレスキはこの教会の中庭を通常はファサードとして用いられることの多いオーダーを用い、中庭にいるにもかかわらず外部にいるかのような設計を施している。原氏は京都駅などで都市を取り込む建築を志向していたことからもわかるように、内部と外部の反転、あるいは外部の内形式化を建築で実行しようとしていた節がある。その一つの参照枠としてブルネレスキのサン・ロレンツォ教会が考えられていた、というのは妄想しすぎだろうか。


真偽のほどはともかく、内部に列柱がならび、古着の中庭があったことがわかればよい。しかしその古着の中庭は西洋の教会建築のような美しいものではなく、まったくの逆であった。敷き詰められた中央にはうずたかく古着が盛られており、その頂上では古着の山のすぐ脇から伸びるクレーンが鋭利な「手」を下ろしている。機械的にただただその「手」は古着をつまみ、持ち上げ、落す。つまみ、持ち上げ、落す。その機械音が各列柱に備え付けれらたスピーカーから流れされる28人の各心像の鼓動音と相まって、より不気味に響き渡る。遠くからは汽車の音も聞こえてきた。

アウシュヴィッツ。そう呟きたくなるほどであった。ボルタンスキーが汽車の音まで考慮に入れていたかは定かではない。が、その瞬間の音の不協和は時空を奇妙に歪めていた様にも思われた。幸か不幸か、前日の夜にはにわか雨が降り、まだ乾ききっていない古着は、打ち捨てられた身体をより喚起する。ここは収容所なのか。

頭部の(見え)ないクレーンの「手」は、リヴァイアサンのそれだろうか。頭部を切断されてもその身体は残っている。守ってくれるリヴァイアサンはもういない。頭部をうしなったそれはただただ暴走するばかりだ。その剥き出しの暴力に対峙するのがゾーエー、剥き出しの生、打ち捨てられた身体。

古着屋の頑固親父が、「ヴィンテージ、なんぞ面倒な言葉がはやりだしたもんだ。困ったもんだよ」とぼやく。そんな親父は「古着屋ってのは一度不要になった、捨てられた服にもう一度命を吹き込むことだ。ヴィンテージとかいうレッテルではなしに、客には自分の価値観で選んでもらいたいもんだよ。そうじゃなきゃ命を吹き込む甲斐がないってもんだ」と言う。クレーンのあの「手」は、古着屋の親父の「掌」とは対照的だ。いや待て、古着が敷き詰められている、としたら、そもそもわれわれはすでに死んでいるのかもしれない。原発事故で国とメディアはこう言っていなかっただろうか。「1/5000」の確率で発症する程度ですので安心して下さい、と。「1」とは誰なのか。分母の「5000」とは誰を指すのか。原発の被害は東北の太平洋側から関東にまで及んだ。それどころか海には汚水が垂れ流しである。潜在的な被害者は特定できない。誰もが「1」であるし誰もが「5000」だ。私たちは半死半生として権力の「手」の中にいる。敷き詰められた古着のように。

五段ほどの階段を降り、腰を下ろす。また、汽車の音だ。敷き詰められた古着は荒れ果てた跡地のようにも思えた。