柄谷行人さんについて。『批評とポスト・モダン』以後。

久々の再読。

柄谷さんの著作はマルクス論や日本近代文学論といった初期のものをはじめ、今回再読した『批評とポスト・モダン』、『探究』、『トランスクリティーク』、『日本精神分析』など、主に二年前によくお世話になった。しかし二年前の自分はよくわからず、ただただ柄谷さんの文体や情報圧縮のスピードに翻弄されていただけだったと改めて思う。

かといって今回完全に理解したかといえば勿論そんなことはなく、相変わらず無知なのではあるが、柄谷さんが何を意識して書いていたのか、あるいは書き続けているのかの端緒が、わずかばかり感じることができたような気がした。それの整理がこれである。

『批評とポスト・モダン』は東浩樹さん一押しの著作らしい。その理由は僕にはまだわからないが、「批評とポスト・モダン」と題された冒頭の文章は、その後の柄谷さんの歩みが凝縮されたマニュフェストのようなものだと思う。これが書かれたのは1984年。当時の言説空間に対し、柄谷さんが下した診断は「ナルシシズム」とひとまず言うことができると思う。

当時のポストモダニズムの論客たちは、コジェーヴを好んで参照した。スノビズムな日本がポストモダン以後の人間の在り方である、アメリカのような消費社会には人間はいない、彼らは動物だ、というわけである(コジェーヴヘーゲル読解入門』pp.246-247.)。そもそも日本は十分に近代化していない(モダンになっていない)のだから、近代的主体の崩壊というダメージがない。それゆえむしろ容易に日本はポストモダン化されうる、という自己判断が加わる。実際にも、高度経済成長で一躍世界のトップへと躍進したうえ、当時のアメリカはベトナム戦争に拘泥し自らの弱さを見せていたように感じられた。(これはよく言われた話である。最近では東さんや國分さんも同様の話をしている。『動物化するポストモダン』、『暇と退屈の倫理学』参照。)。

このような考え方の背景には、敗戦、そしてそれによるアメリカの占領、といったトラウマ的経験がある。そしてそのトラウマを払拭したいという願望が、このような思想展開につながる。高度経済成長を経てバブルへの入り口に差し掛かった「熱い」時代。その熱に浮かされ、自分たちの(無意識の)欲望に盲目となっている言説空間。柄谷さんの批判はここに向けられている。「本当は、われわれは日本における「構築」が何であるかを問わねばならない」(p.27)、と。ここにおいてすでに後年の『日本精神分析』が書かれる動機を垣間見ることができる。

「批評とポスト・モダン」では、この「日本的構築」がなぜ可能なのか、を小林秀雄の『本居宣長』における古意(やまとごころ)と漢意(からごころ)の分析にまで最終的に遡り分析されている。その詳細にはここでは立ち入らないが、目指されていることは明確である。「日本がファシズムになることを心配する必要はないでしょう。だってもうすでにファシズムだから(笑)」と語る柄谷さんの真意はこの文脈からもわかる。柄谷さんは「日本的構築」を「いつのまにかそうなった」という表現で定義する。「なんだかんだお上がなんとかしてくれる」という根本的な発想、だましだまし妥協点を他律的に求めていく考え方など、それらすべてを要約したものが「いつのまにかそうなった」である。これに揺さぶりをかけることが目指されている。政治的である。内部からの抵抗である。しかし抵抗する自己(柄谷さん自身)は内部の人間である。ここに「身を引き裂かれる」ようなパラドキシカルな苦しい立場がある。日本人でありつつも日本人の外部であり続けようとする。「一人二役」を演じること。これを《批評》だと言う。これが、柄谷さんが戦い続けたトポスである。

この危ういトポス。一人二役を演じる劇場(それは他ならぬ自己、すなわち柄谷さん自身なのだが)。このトポスの位置づけをめぐって、まさに『探究』を開始する。それはまずもって、「この私」をめぐる『探究』としてデカルトウィトゲンシュタインへと向かう。

デカルトウィトゲンシュタインの系譜学。それは「この私」という単独者、言語ゲーム=共同体の外部に在る(在ろうとする)者による光学である。《批評》とは「危ういもの」であるのは、この「外部」に在るということの危うさでもある。なぜ危ういのか。「外部」には、「外部」に在る者の存在を保証してくれる何らかの基盤が無いからである。言語ゲームの内部、共同体の内部であれば、規則・規範という基盤があるが、「外部」=《批評》にはそれがない。規範無き外部、それは暗闇に等しい。柄谷さんは、この暗闇へと跳躍していく。成功するか否か、まったく保証されていない暗闇へと跳躍し続けること。それは、《批評》とは何か、「外部」とは何かを巡って思案することが逆説的にもその「何か」にたどり着くことが無いことを露にする。「私はこの仕事を無期限に持続するだろう…」(『探究』「あとがき」より)。

デカルトウィトゲンシュタインの系譜学の臨界。それは弱者の光学たろうとするものであった。80-90年代の柄谷さんは無期限の跳躍を覚悟する。しかし、2000年にその頂点を迎える。系譜学は突如、カント=マルクス論となる『トランスクリティーク』の仕事となって現れる。これはある意味驚かされる。デカルトに始まる近代に対し、新たに(デカルト批判を行ったうえで)近代を創始したのがカントだからである。しかも、『探究』ではデカルトの「この私」を積極的に読み込みつつ、カント的主体(つまり一般的な「私」)を批判していたからである。ここに矛盾を見るのはおそらく誤りである。矛盾はないのだ。むしろ異なる光学によって同一のトポスを照射しようとしているだけである。その意味で、柄谷さんの歩みは「場所論」として、あるトポスの周囲を巡る光学として読むことができる。

トランスクリティーク』は大著である。ここで見出される新たな柄谷さんのトポス、それは「あいだ」である。「閾」という境界である。それをカントを使って見出している。ごくごく単純に言えば、カント的主体は分裂と調停からなる。超越論的自我と感性的自我は互いに疎外されており、一致することは無い(これがカントによるデカルト批判の要旨でもある)。その両者の分裂を調停するのが悟性である。柄谷さんに引き合わせれば、日本人として生きる感性的自我としての柄谷さん、その日本人の外部にある超越論的自我としての柄谷さん、この身を引き裂かれる状況から概念を創造する悟性=《批評》する柄谷さん、である。カントを読むにあたって、柄谷さんがヒントを得たのが坂部恵さんのカント論である。坂部さんは「視霊者の夢」でカントがとる立場に注目する。それは「私の視点」と「他者の視点」の双方を跨ぐことで生じる「強い視差」によって、「私の判断」(あるいは概念創造)を行うというものだった。坂部さんはこの「視差」から、つまり「視霊者の夢」から『純粋理性批判』を読むことを主張する。ここに柄谷さんは反応した。『探究』では「暗闇への跳躍」の試みが主張された。しかしなぜ「暗闇への跳躍」から創造が生まれるのか、それがまだ明晰になっていなかった。それがカント=マルクスを使うことでより明確になった。弱者の光学はカント的視差となることで、その光度を増すに至ったのである。

このような光学、光度を増した光学を携えて、柄谷さんはいよいよ『批評とポスト・モダン』以来目指していた「日本的構築」の揺さぶりを開始する。それが『日本精神分析』である。同じようなテーマを扱った論文や著作は多くあるだろう。たとえば長谷川三千子さんは『からごころ―日本精神の逆説』で、小林秀雄宣長論を読解しつつ、日本精神の基層には「無視の構造」があると言う。河合隼雄さんはユング精神分析を用いつつ「中空構造」を日本精神(無意識)に見出す。そういった他の日本論と比較しつつ読解していくことも重要だと思われる。しかし現段階で私の能力が追いついていない。今後の課題にする。