弔い

「剥き出しの生」と呟いてみる。すかさず「剥き出しの死」というものが、舌を襲う。忘れるなよ、と。そうなのだ、剥き出しの生を語るのならば、剥き出しの死が亡霊の如く漂う。死に淫するわけにはいかない、しかし、どのようにして。

限定的に、きわめて限定的に話を進めていけたらと思う。オウム真理教。「ポア」という言葉も一種のギャグのように巷に溢れたときもあった。今もその名残は一部に残っているのかもしれない。

オウム真理教、真理の体現者として君臨した麻原彰晃。彼は最終解脱者を自称し、死を超え、生死を操ることのできるものと自称し、表象され、尊敬された。しかし、教団内での修行中、一人の信者(彼はもともと薬物中毒者であり、その治癒の目的も兼ねてオウム真理教へと出家した)が突然発狂し、死に至る。慌てて駆けつけた中枢の信者と麻原は心肺蘇生や気の注入を試みるが、叶わなかった。麻原はこれをシヴァ神による教示と解釈し、さらには中枢幹部に魂を浄化し解脱へと導くため遺体を早急に処分せよ、と命じる。遺体はドラム缶で焼却され、遺骨はハンマーで粉砕され、湖へと注がれた。

ここには生死を操ることのできるはずだった麻原の不能さが露呈している。教団の、修行の在り方の齟齬も含め、これは常識的に考えれば明らかに教団のゆがみを露呈するものであったはずである。しかし麻原はその事実に向き合うことをせず、シヴァ神のお告げといった妄想によって処理し、まったく違う方向へとドライヴを切ってしまう。

考えるべきところは多くある。ここでは一つだけ採り上げよう。

遺体を焼却し、骨まで砕き、目の触れぬところへ打ち遣る手つき。そう、これはナチスとまったく同じ身振りなのだ。剥き出しとなった死、麻原の説く浄化させるべき魂から打ち捨てられた死体、中身のない廃墟。これに対して(麻原の場合は特に妄想を介して)真摯に向き合うことをせず、焼却し、砕き、葬り去る。オウム真理教、それは宗教ではない。その所以はここに明確に現れているように思われる。

近代国家という概念、あるいは虚構の人格性を帯びた主体が持ち出されるようになると、権力は公共圏を独占し、宗教は共同体の中心から排除され、信仰は私秘的領域へと極度に切り詰められることになった。秩序を担っていた宗教的なものはここから空洞化の一途を辿る。日本ではそれが顕著であろう。そこで失われるもの、あるいは見失われがちなものは何か。それが、弔いという営みである。

祈り、弔うという行為は、おそらく人類史においてきわめて原初的な形而上学的営みであると思われる。もう生きてはおらず、二度と生身で現前することのない観念的な存在へと想いは募る一方で、自身は生を営み続けること。目の前の現実を生きるのに、死者を思うことが必ずしも答えを与えてくれるとは限らない。明日の食事をどうするか、に対して死者はなにも答えてはくれないのだから。しかし考えてしまう。まさに亡霊のように、それは回帰し、苛む。愛していたが故に、それはいっそう重みを増す。それでも生きていかねばならないことの齟齬。

こういった齟齬、解きようのない問題に対してそれでも非解としての解を与え続けていく営みが、祈るという行為であり、弔いであり、世界の片隅で小さくあわせられた手であった。デューラーの手であり、墓であり、宗教であった。はずだった。

ところが、近代を道行に現れたのは、焼却施設であり、ハンマーを握る手であり、不能なる父であった。

(補遺)
 こうの史代が描く戦争は、「この世界の片隅」で廃墟と化したところから生い立つ、生命の輝きである。そこにはやがて朽ちてゆくものとしての廃墟と、そこから生が再び始まるところの廃墟という、廃墟の二重性が独特のハッチングとともに描き出されている。ここでの「廃墟」は単に建築物だけを指すのではない。作中には建築物以外にも、人骨、遺骨無き骨壷といったモチーフが描かれており、これらをも意味するものとしての「廃墟」である。そしてその「廃墟」によって、戦後の生存者が死者たちの亡霊に苛まれたり、その想い出を忘却に抗して集めようと歩んでいく人々が描かれる。廃墟は、亡霊を伴い、かつその中では新たな生が営まれていく場なき場である。