語彙memo

いまいち使い分けがわからなかったnaked とbareとnude.
私なりに調べてみたところ、ひとまず以下の整理をしておく。

naked ... 裸の,むき出しの
bare ....(部分的に)むき出しの、衣服をつけていない

どちらかというとnakedは人全体、bareは身体の部分、といった区別があるようだ。

    naked man (人) / bare foot (身体の部分)
    naked body (体全体) / bare flesh(身体の部分)

nude…衣服をつけていない
nakedには「無防備」という意味もあるがnudeにはない

nudeには衣服があるはずなのにつけていないというニュアンスがあるから、原住民とかでもともと衣服をつけていない人はnaked man. nudeは使わない。

インターネットをさがしていたら以下の言葉が見られた。
Photographer Harvey Drouillard says nakedness is about sex but nudity is art.

nude と naked で検索したらすごくヒットした。芸術の世界では
結構どちらの表現を使うかで議論になってるようだ。もうすこし調べてみる。

Giorgio Agamben "Means without End" 拙訳(未完のため随時更新・調整中)

序文

 この書に収められているそれぞれのテクストは、特異な政治的諸問題に対して、私なりに思考を試みたものである。もし政治が今日において自らの失墜を先延ばすことを実現しているのだとしたら、そして宗教や政治、さらには司法までもが各々の存在のステータスを失うことで生じた領域へと、政治が自らの適用範囲を拡大し、サバルタンの立場を出現させているとしたら、それは諸カテゴリーや諸概念の変容に対する応答が失敗したということである。したがって、以下では、ふつう政治的なものとして思考されず、あるいはマージナルなものとしてのみ扱われてきた諸経験・諸現象において、政治的範例が誠実に探究されることとなる。すなわち、人間存在の自然的生(かつては政治的な領域から排除されていたゾーエー、現代ではフーコーの分析によってポリスの中心へと置きなおされた対象)であり、例外状態(法の支配の恒常的緊張が、法体系それ自体の基礎を構築することに代わって露にされている状態)であり、強制収容所(我々が暮らしている政治的領域の隠されたマトリクスがそうであるように、公的/私的の二項対立が無効になる地帯)であり、公的にはマージナルな形象として見なされているが、いまや現代における人間存在と市民の間にある蝶番の破壊によって生じた近代国家の決定的な形象となっている難民、我々が暮らすスペクタクルな民主主義社会の政治を定義づけているランガージュの肥大と押収、そして政治に固有な身振りあるいは純粋な手段の領域(すなわち、手段でありながら終末[目的・終り]との関係から自身を解き放っている手段の領域)が、真正なる政治領域として布置されているのだ。
 これらすべてのテクストは、さまざまなアプローチによって、そしてそれらが書かれた状況にしたがって、さらなる探究へと開かれていることを指し示している。あるときはそれらの探究の固有の核を先取りして示し、別なときにはそれらは断章・断片である(そのような探究の最初の産物が「ホモ・サケル」と題された書物である)。このようなものとして、各テクストはそれらの真の意味を複雑な探究のパースペクティヴにおいてのみ見出されるよう運命づけられている。そのような探究とはすなわち、主権権力と剥き出しの生の狭間で、我々の政治的諸カテゴリーを再考するということである。


第一章
 
 生の形式(Form-of-life)

 古代ギリシャ人は、現代の我々が「生life」という単語で意味しているところのものを、一語だけでは表現していなかった。彼らは語形的にも意味論的にも区別された二つの言葉を使用していたのである。すなわち一つはゾーエー(zoe)であり、これはすべての存在者(動物、人間、神)に共通した、生きているという端的な事実そのものを意味していた。他方ビオス(bios)という言葉があり、これは個人あるいは特定の集団における各固有の生の形式あるいは様式を意味していた。近代以降の言語において、この対立概念は徐々に語彙から失われていった(この区別は「生物学biology」と「動物学zoology」の別として保持されて入るものの、もはや本質的な相違を示していない)。一方の言葉のみが―語の指示持対象の神聖化と相まって、その言葉の不透明さは増すばかりだ―剥き出しの状態で想定された共通要素を指し示しており、多くの生の形式から分離することが常に可能なのだ。
 しかし一方で私は、この「生の形式」という言葉によって、その形式からはけっして分離しえない生、剥き出しの生といったものを分離することが決してできない生というものを意味している。

 形式から分離されえない生とは、生き方において賭けられているものが生きることそれ自体であるような生である。この定式化は何を意味しているのだろうか。それは生―人間の生―を次のように定義する。すなわち、形式的に一致した生活のさまざまな方法、行為、過程はけっして単なる事実ではなく、つねにとりわけ生の潜在性であって潜在力なのだ。各々の振る舞いや生活形式は、特定の生物学的適性によって規定されることは決してないし、どんな必然性によっても隷属させられることはない。あるいは、たとえどんな習慣や反復的営為、社会的強制でさえ、常に潜在性しるしは維持されているのだ。すなわち、常に生きることそれ自体が賭けられているのだ。このようなわけで、することもできるし、しないでいることもできる、成功もすれば失敗もする、自己喪失もすれば自己発見もする、そのような力能の持ち主として、人間存在は常に自らの幸福が生きることそれ自体に賭けられている単独者[only being]であり、自らの生が矯正=救済されえず[irremediably]、骨を折りつつ幸福へと配属=隷属されている[assigned]単独者である。しかしこのことは直接的=無媒介的に[immediately]生の形式が政治的生として構成されていることを意味する。「国家とは共同体である。その共同体は生きることのために、人々のよりよき生活のために制定されたものである。」(パドヴァのマルシリウス[13世紀から14世紀のイタリアのスコラ哲学者。)

 他方、我々が知っているように政治的権力というのは、常に自らを―近年の事情においては―生の形式のコンテクストと剥き出しの生の領域の分離=閾の上に見出す。ローマ法においてヴィータ(生)とは司法上の概念ではなく、むしろ生きているという端的な事実あるいはある特定の生き方を意味している。次のような唯一の事情があるのだ。「生life」という言葉が、文字通りのテクニカル・タームとしてそれを変容させる司法上の意味を纏い、そのように変容した言葉が「ヴィータイ・ネシスケー・ポテスタス[vitae necisque potestas]」すなわち息子に対する「家長の生殺与奪権」という表現のなかで存在するようになるといった事態が。この表現[vitae necisque potestas]において、ヤン・トマスは、「que」というのは隣接的接続詞・結合子ではなく、「生=ヴィータvita」は「死=ネクスnex」の当然の帰結にほかならない、すなわち[vitae necisque potestasとは]殺す権力なのである、ということを示した。
 したがって、生ははじめから死へと晒す権力の対概念としてのみ法の下で現れたのである。しかし家長の生殺与奪権に正当性を与えているものは、さらに強健な主権権力(支配権)であり、このもとで家長権は独自の境域[cell]を形成する。したがって、主権権力のホッブズ的基盤においては、自然状態の生が無条件的に死の恐怖(境界無き万人の万人に対する権利)へと晒されることによってにみ定義されている。そして政治的生―すなわち、リヴァイアサンの保護下につなぎ止められていない生―とは、まさにこれと同じ生であり、いまやもっぱら主権権力の掌中で脅迫に晒されてあることに他ならない。絶対的・恒久的権力、これは国家権力を定義づけるものであるが、それは―近年の場合―政治的意志にではなく、むしろ剥き出しの生[naked life]において見出されるのだ。剥き出しの生は、生殺与奪の主権権力(あるいは法権力)を甘んじて受け入れる=服従するという水準においてのみ保たれ保護されている状態である。(これはまさに、「聖なる[sacer]」という形容詞がかつて人間的生に言及していた際の元来の意味である)。例外状態という、主権権力があらゆるすべての時に決するこの状態は、剥き出しの性―通常であれば社会的生のさまざまな形式へ再接合されて現れる―が露骨に拷問状態に置かれ、政治権力の究極的基礎として呼び戻されるときに、その姿を現す。例外状態として直ちに都市内部へ組み込まれなければならないその究極的主体とは、つねに剥き出しの生なのだ。

 「抑圧された者達の伝統は、私たちが生きている〈非常事態〉が実は通常の状態なのだと、私たちに教えている。この教えに適った歴史の概念を、私たちは手に入れなければならない」[ベンヤミン「歴史哲学テーゼ:Ⅷ」―『ベンヤミン・コレクション1』、浅井訳、六五二頁を参照]。ヴァルター・ベンヤミンのこの診断は、それから五十年以上過ぎた今となっても、少しも色褪せることはない。というのも、これは単に権力が今日もはや非常事態以外に自らを正当化する枠組みを持ちえていないことのみならず、権力がいたるところで絶え間なく非常事態を宣言しアピールすることが、秘密裏に非常事態を作り出すことに腐心しているのと表裏一体である、という理由によるのだ。(非常事態という基盤以外ではもはや少しも機能すること出来ないシステムは、どんな対価を支払ってでもそのような非常事態を維持し続けることに関心があるのだろう、考えつくことは容易である―どうすれば思いつかないでいられようか)。これもまたとりわけ主権権力の秘められた基盤であった剥き出しの生が、至るところで支配的な生の形式となっているが故の事例である。いまや規範となった例外状態において、生とは、あらゆる文脈において、生の諸形式がある一つの「生‐の‐形式」へと凝集密着している状態から、各々の形式を分け隔てている剥き出しの生である。したがって、マルクス主義的なヒトと市民の間の切断線は、剥き出しの生(究極的かつ曖昧模糊な主権権力の受台)と社会的-法的なアイデンティティとして抽象的に再還元された多系列の生の諸形式(有権者、労働者、ジャーナリスト、学生、そればかりかエイズ患者、服装倒錯者、ポルノ・スター、幼稚園児、親、女性)との分割に取って代わられているのだ。それらはすべて剥き出しの生に基づいているのだ。(その零落において形式から分かたれるそのような剥き出しの生を優れた原理―主権のそれであれ、聖なるもののそれであれ―取り違えたところに、バタイユの思考の限界がある。それは我々にとって使い道の無いものなのだ)。

 フーコーのテーゼ―以下の言による。「今日賭けられているもの、それは生である」、それゆえ政治は生政治となっているのだ―は、この意味で実質的に正しい。

「不在」への回帰―「No Man's Land」への一つの視座

「作品」に対峙した際の、ある種の「わからなさ」がある。にもかかわらず、「楽しげな」あるいは「哀しげな」といったプリミティヴな印象・反応だけはある。そんな鑑賞体験は少なくない。特に、「知識」がなければ如何ともしがたい「壁」を感じる、そんな経験があるのではないだろうか。「知識」(これは客観的判断を可能にする根拠、という意味でもある)による裏づけがないため、「わからない」なりに感じる漠たる印象は、翻って「私だけかもしれない」という不安に転化する。「壁」によって、「私だけ」にされてしまう。そうさせてしまう「作品」がある。

他方、ある程度の「知識」があるがゆえに、その作品が担っている背景・提起している問いの大きさに圧倒されることもある。問いの困難さが「知識」によって理解されるがゆえに、問いはますます大きなものに思われ、解決不能なもののように感ぜられる。ここにも転化の契機がある。その問いの解決が人類にとっての救いであるかのような誇張によって、さらにはそれを「眺める」がゆえの鑑賞者に喚起される郷愁・感傷。「私にはできない」という不能の感情が裏返って、感傷的感情を喚起する。

この「語りえなさ」「到達不可能性」「解決不可能性」といった否定的契機によって対象に対して現れる反応、それがここで言及するある種のノスタルジー、不在への郷愁である。

重要なのは次のことだ。こうした、いわゆる不可能な対象と呼ばれるものが、他者と交換もできず一般化もできないような、まったくの孤独の状態に置かれた際の経験あるいは感情へと、鑑賞者を向き合わせる。この点に注目しよう。ここには「仕掛け」が潜んでいるように思われる。

否定的契機によって孤独な経験・感情が生じたとしても、それを生じさせた元の問いや対象それ自体は、他者と共有されていたのではないか?つまり、その問いを前に、誰もが孤独な、理解しがたく、語りえない、そのような経験に耐えるほかないのだ、ということが前もって保証されていたことになりはしないか?こうして結局のところ、この経験の孤独さは他の孤独と強く結びつき、複数の孤独が共感し連帯しあう。ここに、秘めやかな、しかし強固な排他的共同体が生じはしないだろうか。

もし仮に、ボルタンスキーが手がけるような作品がこのような側面を否定しがたく孕んでしまっている―むしろこのような「仕掛け」を意図的に配置したのが彼の作品かもしれない―としたら?もちろん、その中にはモダニズムに対する反省、モダニズムが切り捨てようとして出来なかった感情、それもヴァナキュラーで個人的な感情と再び正面から向き合おうとする側面もあるだろう。だが、この決して解きえぬ問題の共有という「仕掛け」は排他的共同体(つまり民族主義)に重なる側面もあるのではないだろうか。

ボルタンスキーの作品は、誰にでも知られているが、すでに喪失され、知ることの不可能になってしまった経験を核にして、残された痕跡を累積し展示する。当然、重要な要素になっているのは記憶である。だが、実はその記憶は他人のものであって到達不可能なのである。にもかかわらず、残された痕跡を通して、鑑賞者はそれを想起しようとする。他人の経験とその記憶を、もう不可能であるにもかかわらず思い出そうとしてしまうのだ。つまり記憶と想起のズレが「感傷・共感」を作り出す。

80年代には、モダニズムが行ったセグメンテーション―つまり個々のメディアがどんどん分化・断片化し純化してしまったこと―に対して、もう一度その断片を統合するような主題を回復させようという素朴な問いが繰り返された。脱中心化してしまったモダニズム芸術に、再度中心を取り戻すのだ、と。その場合の主題というのは、簡単には「物語」だったように思われる。それがあることを観客があらかじめ知っていれば、すべての断片は自ずから関連付けれて見えてくるというわけだ。つまり、「共感・感傷」というのは、その不在の物語を機能させ、バラバラになってしまった断片を「ひとつに」組織するための最も有効な手段だったのではないか。

この仮説を敷衍する別の具体例として映画―「ロード・ムービー」というジャンルを採り上げてみたい。

映画はそもそも無数に可能な映像の結合から特定の一つを選び出す中心的根拠が曖昧である、という問題に悩まされてきた。映像の流れを統一する視点、映像を結びつけているはずの主体と言うのが、どうしても恣意的になってしまう。これが映画を見たときにつきまとう曖昧で主観的な印象の原因にもなる。観客は自分が見ている印象を客観化できないのだ。

ところが「ロード・ムービー」という形式は、この視点の統一性と問題の解決に関しては都合がいい。なぜか。まず、空間を線的に移動していく主人公がおり、映画の線的な時間の流れはその動きに並行している。つまり映像の流れはそのまま、移動する主人公の見たものと重なる。さらに、観客が終始見るのは一人から数人の登場人物だけで、その他の登場人物は、風景と同じように通りすがりに出会ったものにすぎないという処理が為される。そこに出てくる風景から主人公は疎隔されている。したがって映画を見ている観客と主人公の条件が同じだということだ。映画の光景と観客の疎隔感はそのまま主人公の風景からの疎隔感と重なってくる。「共感・感傷」「同一化」生じやすい条件が見事に揃うのだ。

ゴダールはある意味で、そのような映画の線的秩序の破壊を徹底させたと言えるだろう。映画の特質、それをあえて繰り返せば、映像を線的統一をせずに提示し、そのバラバラな断片同士が何によって統一されるかは大部分が観客の主観に委ねられる。たとえモンタージュは作者によるものだとしても、そこから「意味」を見出すのは観客という主体であり、「解釈」を施すのは観客だ。その主観的「解釈」によって(かろうじて)読み取った「意味」に自信がないから、「面白い」「哀しい」などの言葉だけで口をまごつかせるほかなくなる、といった事態が生じるのだから。

ゴダールはこうした映画の断片性をより剥き出しの状態に近づけ、提示した。とするならば、ヴィム・ヴェンダースはこの逆を行こうとしていると捉えることが可能となってくる。つまり、ヴェンダースゴダールがやったような離散的断片に、再度中心を作り出し孤立した断片と孤立した印象どうしを「共感」させようとしている、と。

重要なのは、そのような「中心」あるいは背後の「物語」が本当にあるのか否か、その客観的実在性は問題ではないということだ。それがあたかもあるかのように感ぜられれば、語りえないものの共有といった否定的分有によって孤独が連帯可能となるからだ。つまり、「壁」に囲まれつつもその孤独を癒してくれる―アイデンティティの保証をも担っているような気がしてならない―。しかし、「壁」の向うからアイデンティティを支えてくれる「中心」「物語」は本当にあるのかわからない。それを「誰が」与えてくれているのか分らない。「誰」とは「権力」かもしれない、と想像するのに難くない。

否定的契機、例えば「不可能性」がそうだが、これは逆に言えば「可能性」、あったかもしれないが、あったかどうかは言えない、という事態を強化する。それが作品化され「芸術作品」という構造に収まってしまうと、傷としてそれが利用されているだけで、誰もその作品に対して否定しえない、判断し得ないという条件、つまり「作品の自律」という資格を対象に与える口実となってしまう。それは結局、語りえない「もうひとつの歴史」というものの強化にしかならない。このような「回収する仕掛け」には、それでもなお、抗しなければならないと思う。

断片というのは相互に無関係で分裂していて、その意味でチャンス・オペレーションのようなものだ。「これは偶然だよ」と言ってしまえば、それで済んでしまうような。ところが、断片が輝いて見えるときというのは、どんな断片のゆがみにも必然性を感じる。すると、その必然性を与えているはずの、断片同士を結びつけるだろう「物語」「中心」をでっち上げるという倒錯が生じかねない。それが見事になされてしまえば、どんな出鱈目なものでも輝いて見えてしまう。問題は、そのような「物語」「中心」を(否定的に)想定するやり方以外の、断片を輝かせる方法を、テクネーを見出すことではないだろうか。

固有名について:要約

『名指しと必然性』を著したクリプキは、そこでフレーゲ/ラッセルの記述理論を批判した。記述理論では、固有名を縮約された確定記述の束と捉える。「アリストテレス」という名は、「プラトンの弟子」「『自然学』の著者」「アレクサンダー大王の師」といった書性質の集合の短縮形としてある、と考える。

クリプキはここに条件法=可能世界を導入することで記述理論の欠陥を指摘する。それはこうだ。例えばいま、アリストテレスは実はアレクサンダー大王を教えていなかった、という新事実が判明したとする。記述理論に従えば、そのとき我々は「『アレクサンダー大王を教えた人』はアレクサンダー大王を教えていなかった」、つまり「A=notA」という矛盾命題を持つことになる。当然これは有意味ではない。他方、「アリストテレスアレクサンダー大王を教えてはいなかった」という命題は有意味であり続ける。この訂正可能性を含意しつつ我々は「アリストテレス」という固有名を使用している。つまり「アリストテレス」は「アレクサンダー大王を教えた人」という確定記述とは等置されない。これを一般化し、固有名は確定記述の束に還元されないということが帰結する。記述理論はここで破綻する。

「固有名は確定記述の束に還元されない」とは「固有名にはつねにある剰余が宿っている」と言い換えられる。柄谷はこの剰余を単独性と呼び、確定記述の特殊性と対置させる。しかし我々ははじめに「アリストテレス」という固有名に出会ったとき、必ず「〜をした人がアリストテレスである」という命題としてその定義づけを行い(学び)使うようになったはずである。この時点では明らかに固有名(単独性)と確定記述(特殊性)は等しい。以後、経験的知の増大に関わらず構造は変わらないはずである。ではいつの間に固有名に剰余=単独性が宿ったのか?

クリプキは、固有名の伝達において我々はその固有名の説明(定義)以上のものもまた受け取っている、と解決する。説明以上のもの、それは語りえぬ力であり、その力の源を「命名行為」に根拠付ける。命名=指示行為は確定記述=特殊性を越え、一足飛びに単独性そのものを名指すことが出来る。その名指し=飛躍の痕跡が固有名の上に「固定指示子」として宿り、伝承されていく。したがって、固有名の剰余とは名指しの記憶、言語外的な出来事の記憶として捉えられることになる。この解決において、確定記述=説明と剰余=単独性は二つのレベルに峻別されている。ここから「説明」の伝達とは別個に、単独性の伝達もまた保証される必要性が生じる。クリプキはそれを純粋伝達を行う共同体という観念的仮定=神話を導入することで封滅しようとする。
(しかし同時にこのクリプキの議論は、デリダによるベンヤミン読解、法措定的権力(名指し)と法維持的権力(純粋伝達する共同体)とパラレルであることに気づかされる。この点については後日に改めたい。)

クリプキのこの理路を脱構築の立場から説明するとこうなる。彼は記述理論を脱構築した結果として、脱構築不可能なもの、理論的思考の残余=剰余としてのみ固有名の単独性を見出した。その剰余を語るには神話が必要となる。剰余=単独性はネガティヴに、脱構築の限界を通してしか語れないという事態に陥る。

ジジェククリプキが陥った神話化を、「現実界」と「現実」の区別を導入するという理論的精緻化によって捉えなおそうとする。クリプキの導入した共同体神話(純粋伝達)に代えて、「現実界」にその根拠を設定することを提案する。

ラカン精神分析において、「現実界」とは象徴界ゲーデル的亀裂を支持する。象徴界(確定記述の集合)を構成するシニフィアンの循環運動は不完全であり、必ず「ひとつ」、他のシニフィアンへと送り返すことのできない、シニフィエなきシニフィアンが存在する。それが「現実界」に対応するシニフィアン対象a=ファルスであり、固有名はこの特権的シニフィアンとして機能するがゆえに、シニフィエ=確定記述へと送り返すことができない。剰余は確定記述の不完全性により保証されている。特定の名が生まれる「現実」的な事情は剰余とは無関係である。象徴界の亀裂を埋めてくれれば名は何でもよい。純粋な伝達過程という神話も不要となる。

デリダが批判するのは、このただ「ひとつ」の特権的シニフィアンがある、と理路を進める精神分析の、単数化傾向である。ラカンはこの特権的シニフィアンを説明するにあたり、ポーの『盗まれた手紙』に登場する手紙を範例としている。盗まれた手紙は何も表象しない(内容は誰にもわからない=確定記述に還元されない)。手紙は様々な人の手を渡っていく。それゆえ手紙=ファルスには「自分自身の位置をもたない」位置という逆説的位置が保証される。ラカンの手紙は決して届かない=読まれない=確定記述を持たない。しかしその絶対的不可能性はかえって手紙=ファルスに対して「決して届かないこと」をこそ保証してしまう(「どこにも届かない」という場所に届く)。デリダはこの「どこにも届かない」ことを批判する。つまり「届かないことがありうる」という確率的位相が抜け落ちてしまっている点を批判する。

手紙という表現は固有名の隠喩として機能しているが、しかし同時に手紙は物質性を持つことに注意せよ。デリダは手紙が引き千切られ、その断片のみが送られる可能性を考えている。また、手紙が行方不明になってしまうことも含意している。郵便機能の不完全さ、脆弱さが、手紙の送付先(送付されないということも含めて)は可能性として無数に考えられるのだ。

選択-決断‐行為という難問(1)

幻肢の例を考えてみよう。無いはずの腕の感覚が、実は顔や肩口にもたらされる。これはこれでよい。しかし肩口なら絶えず肌着と衣擦れするのではないか。そうであるにもかかわらず、ある時は幻肢が感じられず、ある時には感じられる。つまり肩口の触感は時と場合に応じて選択されている。この選択は、脳が一方的に行っているのか?いや、むしろここに認められる選択の選択主体を我々は何か一つのものに決定できないのではあるまいか。選択主体が脳にあるのか、与えられた特殊な環境にあるのか、どちらとも決定できないのではないか。この選択の両義性をどう考えるか。

選択は明らかになされているのだ。しかしその選択は能動的なのか、環境依存の受動的なものなのか、判然としない。この両義性に徹底的に直面しない限り、事の本質は見えてこないのではないか。そうでないかぎり、出てくる解決策はありふれたものとなる。つまりそれは「一見能動的だが実は受動的である」とする解決案だ。もう少し言えば、能動的な学習は可能であるが、学習アルゴリズム自体は、進化過程の中で環境によって選択されてきた、とするものだ。注意せよ。このような解決において、学習過程に認められる選択過程を理解する説明の中に、再度進化における選択という概念が入っていることに。選択過程とは何なのか、それが抱えている本質的両義性のパラドックスを不問にしたまま、単純に問題の解決を先送りにしてしまう。

選択および決断という問題の重要性は明らかではないだろうか。能動性(恣意性や自由)と受動性(文脈=環境依存性・必然性)の両義性がそれである。この選択-決断の両義性は、例えば決定論と自由といった伝統的哲学問題として現れる。現代におけるこの問題はそれほど素朴ではないだろうが、仮にこの両義性を嫌ってどちらかに還元しようとしてしまう解決は、事の本質を逸しているといえる。そのようなナイーヴな理路は避けなければならない。

この問題をまた別な観点から照射してみよう。この私だけが存在し、世界や他人は私が創り出した幻影にすぎないと想像してみてほしい。こういった独我論は論理的に可能であり、これによって不都合は生じない。しかし、独我論を言葉によって説明する私に思いを馳せるなら、この世界に他者と共に生き、言葉を獲得してきた私を思い知らされる。世界から孤立した私は決して言葉を習得できず、また使えない。独我論を論証するとき、その正当性を主張できるということ自体によって、この私は逆説的にも世界の存在を認めないわけにはいかない。世界や他者の存在は、それを懐疑することの論理的不可能性によって理解される。

しかしこういった世界理解の方法は、弱弱しく見える。確固たるものにしたい、と思うのが一般的心情なのだろうか。このような否定的契機から世界存在確信の糸口が捕まえられるのなら、あとは「この世界」を前提とした世界理解の方法を編み出せばよいのではないか。ウィトゲンシュタインクリプキ懐疑論を経由した多くの議論がこのような共同体説へと傾倒していくように思われる。だが懐疑不可能性という否定的契機によって世界を擁護したあと、「私から世界へ」ではなく「世界から私へ」という図式を採用することは単なる転倒ではあるまいか。

ウィトゲンシュタインクリプキ懐疑論は以前に整理した。ここで登場する懐疑論者は、「規則」という確実な言明とそれを取り囲み用いる「従う」という行為の非分離性を暴露し、それゆえに、ある規則に従うことは不可能だと言う。だから懐疑論者は、確実な言明とその外部をどんなに厳密に分離しようとしてもそれは不可能だ、と論証しなければならない。しかし、未知数(例えば57)を言語表現によって具体化し「57」へと置換した時点で、ある種の自己侵犯を為してしまっているのではないか?懐疑論者の言い分を聞きとおせた我々において、すでに懐疑論が成立しえないことと同時に成立しうる状況が成立している。懐疑論の進行過程、ここに議論の核心があるのではないか?すなわち、発話における選択の問題である。

この懐疑論自体が成立不可能であるにもかかわらず、理解可能であるという次元において、懐疑論者も聞き手である我々もどちらも権威を持たない、と考えてみる。懐疑論者は自らの主張を為すために、発話の瞬間において選択‐決定し、それを聞く我々においても選択‐決定がある。それは自由で恣意的な私の選択であり、かつ同時に、社会的に必然的な規範的選択なのではないか。

この話者と聞き手双方が「対話」において為す、各々の「選択‐決定」の次元とは(「各々」という表現に留意せよ。ここには両者が一致して選択するという可能性をアプリオリに確保しない態度が強く含意されている。柄谷の言葉を借りれば確かにそれは「暗闇の中での跳躍」である。しかし私はそれを向こう岸に着地する可能性を考慮できない、きわめて強い意味として理解する)、両義的=中性的な次元、それゆえ「超越論的地平」なのではないか。これはデリダ=東的に言えば、「手紙が届かないこともありうる」という「郵便空間」であろう。誤配、誤用、行方不明(すなわち対話そのものがなされえない)、といった様々な可能性がひしめく確率的空間。この空間おける確率分布に根拠はない。中性的郵便空間。郵便空間の確率濃度が他者の濃度ということになるかもしれない。この点は十分な検討が必要であろう。また、この郵便的=確率的空間は時間をも内包している。これが重要な点である。郵便的=確率的=時間的空間としての「超越論的地平」は選択問題を考える上で重要なモデルである。

ここでデリダ=東的「郵便」へと敷衍したことについて、もう少し補足しておく。永井は、そもそも「対話」すらしようとしない・できない存在者、それが他者(の他者性)である、と主張する。この永井的他者を含意できる概念として「郵便(空間)」は有効なのではないか、と思われるからである。ただし注意すべきはデリダ=東が「亡霊の回帰」をも語っている点である。東はこの点に注意を促しており、「回帰しない(届かない)こともありうる」ことを強調する。「回帰」が積極的に語られてしまえば「対話」は「なされえない=なされないことがあってはならない」という積極的禁止=暴力=外部なき社会へと陥ってしまうからだ。我々はこの点を十分注意しておかなければならない。そもそも「対話」という地平に相手が乗ってこない可能性、すなわち「端的な無関係」というものを考えることができるか。永井が『〈魂〉に対する態度』において「われわれはそもそも交通[対話]の不可能性を学ばなければならないのだ」と語るその一文は、まさにこの意味で理解されなければならない。

モニカ・ワグナー「画像-文字-素材 ボルタンスキーとジガードソン、キーファーの作品における記憶の構想」抜粋

モニカ・ワグナー「画像-文字-素材 ボルタンスキーとジガードソン、キーファーの作品における記憶の構想」 http://ci.nii.ac.jp/naid/110007030426 #CiNii

 これは今村氏によってなされたワグナー論文の部分訳である。訳者補遺として最後で語られているように、この論文はボルタンスキー、ジガードソン、キーファーの三者を採り上げつつも、主としてキーファーへの考察が主となっている。ここでは論文前半でなされているボルタンスキーへの言及に焦点を当てて抜粋する。

「インタヴューの中で、彼[ボルタンスキー]は、例えばナチス絶滅収容所の写真を”恥知らずに”使用したロバート・モリスのように、ホロコーストについての芸術を創作するのではなく、”ホロコースト以降の芸術”を創作することに固執していると語っている。彼[ボルタンスキー]は、ホロコースト以降の芸術―アドルノはそれを精確に定義していたが―を自覚していたのである。」(p.173.)

「不在となった家、隙間を、ボルタンスキーは彼のテーマとした。この実際に全く開かれたままになった跡は、しかし何の意味もないものとなった。「ミッシングハウス」は、ただ通り抜けの機能だけを持っていた。ボルタンスキーは、両側に残った家の防火壁の様々な位置に、文字プレートを付ける[…]。この文字プレートは、ボルタンスキーの他の作品での写真および衣服と同じ機能を受け継いでいる。それらは、不在となり死亡し居なくなった人物たちを思い起こさせるため、客観性を持たない肖像について語ることを可能にするのである。」(pp.173-4)

「[…]名前を書いた文字プレートは、不在の者に、無人のままではあるが一つの場を与える。ボルタンスキーは、大変革の状況下にあって、西欧で長らく跡形もなく平らにされていた戦争の跡地を利用するが、それは、消し去られた者達の歴史を現在化させようとするためである。」(p.174.)

「空の空間に名前を貼り付けることは、その空洞を場の力によって素材にさせることである。この仕方をすれば、必ず不在の者と無にされた者は現在化する。」(p.174.)

「彼[ボルタンスキー]は、身体を”小さな歴史”として思い起こさせる。しかし同時に、彼は、身体が多くの展示ケースの中で集団的記憶を構成するものであることを示して見せているのである。」(p.174.)

ワグナーによれば、ボルタンスキーは「真正な日常の場を歴史の素材として自在に用いる」(p.174.)。このことはワグナーによるキーファー論から逆照射される。すなわち、

「キーファーは、[…]、歴史記述がすでに記憶にとどめおいうるmemoriableものとして示した、場と名前を自在に使用している。ここで疑問視されているのは、歴史的に価値があると主張された出来事や”偉人”の名ではなく、それらについて我々が抱く像である。このことが、キーファーの作品と、[…]、真正の場によって不在の身体を呪術的に呼び出そうとするボルタンスキーの作品とも異なる点である。定着された名に割り当てられた意味は、確かに無数のヴァリエーションの中にあるかもしれないが、呼び出された”イメージ”は、潜在的なものとしてのみ保たれている。この想像上のものを呼び出すために、キーファーは、文字を利用する。彼は、その文字を、素材の別の言語のための摩擦面として使用する。画像の物質性は、文字にある場を与え、そのテキストを変容する。」(p.178.)

 ワグナーの言葉を借りながら全体を以下のように要約する。

 手法は異なれど、ボルタンスキー、ジガードソン、キーファーの三者は、「集団的記憶あるいは個人的思い出から活性化されるものを、観照者の認識状況に委ねているが」、「決して無規定ではない過去の現存を画像[作品]内にinnerbildlich創り上げている」。例えばそれは「焼かれることのうちに無にされてしまい焼かれたものとして再び存在する、すべり落された過去を際立たせているのである」。それらの作品および作品内の痕跡は、「いかなる閉じられた真理も隠しておらず」、「現在の諸条件と必要性の下で創り出される真理を秘めているのである。逆に現在の諸条件は、過去に依存せずに存することが出来ないという考えを支持する」三者は、文字、画像といった表現の物質性へと着目し、そこに齟齬を導入することで「反照的空間Reflektionsraumを創り出すことを試みているのである」。
(「」内はpp.178-9.を中心に引用した。)

永井均『〈魂〉に対する態度』―「ヴィトゲンシュタインの〈感覚〉とクリプキの〈事実〉」要約および考察(1)

 クリプキウィトゲンシュタイン解釈。それは『ウィトゲンシュタインパラドックス』から『名指しと必然性』で転回されている。その評価はまさに賛否両論である。なされている批判は主に大きく二つに大別できる。クリプキの議論そのものに対する批判と、クリプキウィトゲンシュタイン解釈に対する批判の二つである。永井はどちらにも組しない。永井はクリプキの議論およびウィトゲンシュタイン解釈を受け入れた上で、それを手がかりとした自説の展開を行っている。

 まずクリプキウィトゲンシュタイン解釈とはどのようなものか。知られているように、それは有名な「懐疑論パラドックス」である。クリプキウィトゲンシュタインの『哲学探究』における「規則は行動のしかたを決定できない、なぜならばどのような行動でもその規則と一致させることができるからだ」(二〇一)に示されたパラドックスを敷衍することから明らかとされる。
  
 クリプキパラフレーズで最も有名なのが「クワス」である。簡単に説明する。まずあなたが通常行う「1+2=3」の計算において、「あなたは+の使い方を知っていて、それに従っているのか?」と問う懐疑論者を登場させる。あなたは当然知っていると答えるだろう。しかし懐疑論者はさらに問う。

 「あなたがこれまで経験した加法計算はたかだか有限個であ ろう。つまり加法について必ず未知数があるはずである。そ の未知数を仮に57としよう。さて、あなたが今まで経験した 加法の 計算のすべてについてはこれを満足し「57+1=58」 を満たす「+」の使い方、これを「プラス」と呼ぶことにす る。他方、あなたが経験した加法については プラス同様に これを満足し、かつ「57+1=5」と計算する「+」の使い方を 「クワス」と呼ぶことにする。このとき、あなたは「+」を 使うにあたり、プラスに従ってきたのか、クワスに従ってき たのか、どちらであろうか?」

 これまでの経験を頼りに考えようとしても無理である。というのも、これまでの経験においてはプラスであろうとクワスであろうと、あなたの経験において違いを見出すことができないからだ。これは算術以外にも一般化される。クリプキは「クワス」のほかに「テーベア」や「グルー」を挙げている。
 「テーベア」とは他の場所ではテーブルを意味するが、エッフェル塔ではチェアを意味し、「グルー」は過去においてはグリーンを意味したが現在はブルーを意味する。「クワス」のときと同様に、私が今まで「テーブル」によって意味してきたのは実は「テーベア」であり、「グリーン」によって意味してきたのは実は「グルー」だったのかもしれない。真偽のほどを決定する経験的事実、および客観的根拠は見出されない。決定不可能だ。これがウィトゲンシュタインクリプキ懐疑論者の言い分である。

 クリプキはこの懐疑論者の主張を論駁し得ないものとして受け取り、これを「懐疑論的解決」によってのみ解決される、と論を進める。「懐疑論的解決」とは何か。それは、真理条件の意味論から主張可能性条件の意味論へという言語観の転回である。この転回は次のようなものである。すなわち、懐疑論者が求めるような意味では私の過去の意図を成り立たせているような事実・根拠は存在しないが、しかし通常の意味でそのような事実・根拠について―たとえば「私が「プラス」によって足し算を意図していたという事実」について―語ることは有意味なのである。と、考える理路である。どういうことか。
 私が(たとえ実は「クワス」に従っていたとしても)「プラス」の意図で計算を行い、それについて他人に間違いを指摘されず、かつ実生活に有効に機能している限り「プラス」を行っていた(つもりだ)と言うことは有意味だ、とすること。要するに、「共同体的一致」を「主張可能性条件」の前提とすることがそれである。
 クリプキは「私の側に規則の意味を知っているという確実性があり、これを根拠として「規則に従う」が成立する」という前提を斥ける。私は私が何の規則に従っているのか、私単独では決して決定されない、ということが帰結される。しかし私は何かしらの決定を行い計算を行う。決定の責任主体は私であるが、しかしそこに不可避的に他者が入り込む。言語ゲームである。主張(言明)可能性は他者と共にある私においてのみ成立する。
(しかしともするとこのクリプキの解決、「懐疑論的解決」は、私の決断を可能とし、同時にその決断によって変質する共同体の存在論へと向かう、という共同体説を導くための単なる通過儀礼として見なされがちである。これについてはまた改めて論じたい)。


 こうして「私的規則」は不可能である、ということが論証される。これは「私的言語」が不可能であるという論証とパラレルである。というより、クリプキによる私的言語の不可能性の論証とは、規則順守問題に関する懐疑論的解決を、感覚言語(痛みなど)へと適用したものであると言える。まずここに永井は足を挟む。
 永井は、私的言語論が規則順守問題の「懐疑論的解決」(共同体説)の系にすぎないのだろうか、と懐疑するのだ。私的言語を感覚言語の観点から検討するのが特徴である。永井はクリプキが提示する「クワス」た「テーベア」といった場合には確かに共同体の権威が絶対的となりうることを認める(それゆえエッフェル塔の椅子を頑なにテーブルだと言い続ければ、精神異常者として排除されることになるだろう)。そのうえで、内的感覚については必ずしもそうではないのではないか、と切り返すのだ。
 たとえば、私がエッフェル塔で誰かにくすぐられたとする。そのとき、私がいかにもくすぐったそうな振る舞いをしながら「痛い」と言ったとしたらどうか。共同体は、私が「痛い」という語の使用規則を誤って捉えていたとして、即座に私を訂正できるだろうか。そうではない。私は、くすぐられてくすぐったそうにしていたにもかかわらず、実は痛みを感じていたのかもしれない。「実は」私が感じているのが「痛み」なのか「くすぐったさ」なのか、決定権は私であって共同体ではない。くすったそうにしている私は、実は痛みを感じていた、ということは少なくとも有意味に想定可能ではないだろうか。私的言語論は規則順守問題に還元できない剰余を持っているのだ。

 以上が永井による一歩目である。この次に永井が導入する私秘性の区別が重要となる。永井によれば、ここまでの議論では一貫して主人公の「私」は「大人」として、つまり共同体によって「規則に従う人」と想定されていた。しかしそうではない人物がいる。例えば子どもだ。子どもは言語習得過程において、状況と反応行動という外的基準にもとづいて、しかも「大人」に教えられて、内的体験を表現する言葉を身につけてい行く。この段階で子どもが外的基準とは独立に、大人に教わることなく、自分で自分の内的体験を表現する言葉を創り出す、などということは想定不可能である。決定権は大人にあって子どもにはない。この「大人」と「子ども」の差異から、永井は私秘性を二つに分けることを提案する。
 一方は「大人」の私秘性。これを永井は「人格的私秘性」と呼ぶ。他方、非共同体的主体、つまり「子ども」の私秘性であり、これを「超越的私秘性」と呼ぶ。永井がその第一歩目でその端緒を描いた、規則順守問題に還元されない私的言語論の剰余とは、この「超越的私秘性」である。永井によれば、ウィトゲンシュタインの私的言語論(私的言語不可能性の論証)はこの二つの私秘性の区別を曖昧にすることによって成立しているという。
 敷衍するならば、永井は「私的言語」の「私的」なるものに対して二つのレベルを設けたのだ。「人格的私秘性」とは経験的、世界内的レベルにおける、理解可能な「私的」である。「実は〜だった」という条件法による「記述」(想像可能性)がなされた時点で、いやもっと端的に言えば「説明」された辞典でそれは剰余を失う。「想像不可能な他者」「理解不可能な他者」を主張しても、それは結局のところそのようなものとして理解されてしまう。我々は共同体の外に出ることはできない。
 ここで永井が行っている論法は、否定によって止揚された外部を結局は内部と捉える、外部の内形式化である。エクリチュールとして記載されない(それは永遠になされない)剰余。剰余は否定表現のみで定義される。正確に言えば、表現すらされない。(実はこのように言った時点で裏切ってしまっているのだが)。