無題

冬夜音なき声が、階段下から駆けてきた、まどろむ、その遠くから。歩き出す、表裏は冷ややかに。いつもの顔が、覗いている。

ハイデガー『芸術作品の根源』 関口浩訳 平凡社ライブラリー

決定的な書物である。前期ハイデガーからの転回、まさにその通りの書物だという読後感。特に「真理と芸術」の章は圧巻である。静かに、足元を確かめながら歩み始めた、そのさまよいが、最後には駆け去るような、そんな印象である。詩作が「贈与、根拠づけ、…

柄谷行人さんについて。『批評とポスト・モダン』以後。

久々の再読。柄谷さんの著作はマルクス論や日本近代文学論といった初期のものをはじめ、今回再読した『批評とポスト・モダン』、『探究』、『トランスクリティーク』、『日本精神分析』など、主に二年前によくお世話になった。しかし二年前の自分はよくわから…

ラヴェッソン『習慣論』 野田又夫訳 岩波文庫 1938年

気づけば自分が「おかしく」なってしまったと思うときがある。気づけば便器に吐しゃ物をぶちまけている光景に、我に返るときがある。自分が普通ではなくなってしまった、と思ってしまうときがある。あるいは、他人と自分との間に狂いが生じたように見えるとき…

野田裕示「絵画のかたち/絵画の姿」展 at 国立新美術館

小春日和とも言えそうな好天に恵まれた今日は、都内へ足を運びました。目的はこの展覧会を観るためです。以下、こじつけのような感想。多くの作品が展示されていて、野田さんの制作史も含めて楽しむことができる展覧会でした。「絵画のかたち/絵画の姿」と…

バンヴェニスト『一般言語学の諸問題』(みすず書房)抜粋

関心のある箇所だけをピックアップ。「またはが指向する《現実》は何か?それはもっぱら《話の現実》なのである…。は、[…]、《話し方locution》の用語によってしか定義することができない。は、《を含むいまの話の現存を言表している人》を意味する。それは…

Humeと力能

Humeは因果関係の必然性を否定する。因果関係の必然性が主張される場合、その結合を(必然的に)生み出す力能が主として原因にあたる事物に付与されており、このことが結合の必然性を担保しているとHumeは分析した。そこから、Humeは因果関係の必然性を否定…

午後の散歩

朽ち果てたアパート。外壁は爛れ、鉄筋は赤錆に覆われ、周りの家々の生気が嘘のように、そのアパートは朽ちていた。路地を歩いていた。冬の午後。冷気が和み、今日は日差しが柔らかい。皮膚に訪れる風が、今日はいつもより親しげだ。ひとり、歩く。コンクリ…

『物質と記憶』について

ベルクソンの主著の中でも最も難解であると有名な『物質と記憶』。確かにそのあまりのイマジナリーな理路は、哲学書を読む態度で臨むと面食らってしまう。あるいは、その理路にのって、わくわくしながら読む人もいると思う。僕自身は、初読においてすらすら…

身辺のこと

今住んでいるアパートのすぐわきに、空き地がある。ここに越してきたときは野ざらしの空き地だった。それが分譲住宅へと早変わり。今、建設ラッシュ。鉄骨が、骨のように取り囲み、ブルーのシートが覆いかぶさっている。まだ、中はがらんどう。空き地が埋ま…

Bergson「D.I.」抜粋

ベルクソンはその処女作ともいえる『意識に直接与えられたものについての試論』で、自由を論じている。しかし自由が論じられるのは第三章と結論の部においてであって、それまでの第一第二章は、もっぱら当時の論客たちの主張をベルクソンなりに整理し、批判…

nowherezenの日記

ブログはじめました。twitterでは長文が書けないので、いいかな、と。はじめたばかりで慣れてないですが、よろしくお願いします。(見る人いるかわからんけど苦笑)